KEKE STUDIO
  1. ホーム
  2. ブログ
  3. スペースインベーダー – ハードウェアの限界が生んだシューティングゲームの原点

スペースインベーダー – ハードウェアの限界が生んだシューティングゲームの原点

1978年にタイトーが発売したスペースインベーダーの開発の背景、敵が減るほど速くなる理由、トーチカとUFO、日本のインベーダーブーム、Atari 2600移植、続編と今遊ぶ方法をまとめました。

#スペースインベーダー #タイトー #西角友宏 #シューティングゲーム #レトロゲーム

スペースインベーダーは、画面下の砲台を左右に動かし、列をなして降りてくる宇宙人を撃ち落とすアーケードゲームです。1978年に日本のタイトーが発売し、固定画面シューティングというジャンルの型を作った作品とされています。今見てもルールはとてもシンプルですが、このゲームが初めて示した多くのアイデアは、その後の数え切れないゲームにそのまま受け継がれました。

この記事ではスペースインベーダー一作に絞り、開発者の西角友宏がどのような試行錯誤を経てこのゲームを作ったのか、なぜ敵が減るほど動きが速くなるのか、トーチカとUFOはどんな役割を持つのかを見ていきます。続いて日本で起きた「インベーダーブーム」とAtari 2600への移植、シューティングジャンルと次の世代の開発者に残した影響、続編と今遊ぶ方法までを順にまとめました。

ひと目でわかる概要

項目内容
発売1978年7月 日本のアーケード、同年11月 北米(ミッドウェイが販売)
開発タイトー、設計は西角友宏
ジャンル固定画面シューティング
ハードウェアインテル8080 CPU、白黒モニターに色付きセロハンを貼って色を表現
主な移植Atari 2600(1980年)、ファミコン(1985年)、その他多くのコンピューター・携帯機器

西角友宏と開発の背景

スペースインベーダーを設計したのは、1944年生まれのエンジニア、西角友宏です。彼はタイトーですでにレースゲーム『スピードレース』(1974年)や、ガンマン同士の対決ゲーム『ウエスタンガン』(1975年)などを手がけていました。スペースインベーダーは、彼が約1年をかけ、ゲーム設計からそれを動かすハードウェアの開発までほぼ一人で担って完成させたゲームです。

出発点はアタリの1976年の作品『ブレイクアウト』でした。西角は1977年に日本でブロック崩し系のゲームが大人気になっているのを見て、標的を一つずつ壊していく達成感と緊張感を生かしつつ、射撃ゲームの要素を加えたゲームを構想しました。ボールを跳ね返して止まっているブロックを壊す代わりに、動く敵に直接弾を撃つ方式に変えたのです。

最初は戦車、戦闘機、軍艦といった敵を考えましたが、当時の技術では飛び回る動きを自然に表現するのが難しいものでした。人間を標的にするのは好ましくないと判断して外しました。その後、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』と映画『スター・ウォーズ』をきっかけに宇宙を舞台に決め、小説『宇宙戦争』から着想を得てタコ型の宇宙人を描きました。さらにイカ型とカニ型の宇宙人が加わり、各キャラクターは2枚の絵を交互に表示する方式で動くようにしました。

ゲームのタイトルはもともと、当時日本で流行していた歌にちなんだ『スペースモンスター』でしたが、上司の判断で『スペースインベーダー』に変わりました。

ハードウェアの限界が生んだ加速

西角は、より良いグラフィックと滑らかな動きのためにマイクロプロセッサを使うことにしました。自分の『ウエスタンガン』をミッドウェイがマイクロプロセッサで作り直した『ガンファイト』を見て、その違いに感銘を受けたためです。彼はミッドウェイの基板をもとに回路を追加し、インテル8080 CPUを中心とした専用ハードウェアと開発ツールを自ら作りました。当時の日本にはマイクロプロセッサを使った製品がほとんどなく、英語の資料を読み、講習会に通って勉強しなければなりませんでした。

そうして作ったハードウェアでも、望んだことをすべて実現できたわけではありません。画面をカラーで表示することはできず、敵をもっと速く動かせるほどの性能もありませんでした。そこで白黒画面の上にオレンジと緑のセロハンを貼り、一部の領域に色が見えるようにしました。

このゲームの象徴となった「敵が減るほど速くなる」動きも、こうした限界から生まれました。プログラムを書いていた西角は、画面に残る宇宙人が少ないほど、プロセッサが1枚の画面をより速く描けることに気づきました。宇宙人の位置は画面ごとに更新されるため、宇宙人を多く倒すほど、残った群れがだんだん速く動くようになったのです。西角はこの速度差を補正する代わりに、そのままゲームのルールとして残しました。そのおかげで、最後の数匹が残ったときに緊張が最も高まる構造が自然に生まれました。

音も同じ流れに乗りました。効果音を担当した亀井道幸が作った4音の繰り返しのベース音は、宇宙人の歩みに合わせて鳴り、敵が速くなるにつれて一緒に速くなります。ゲーム中ずっと背景音が流れ、そのテンポが状況に応じて変わる方式は、後にゲーム音楽の研究者から初期の重要な試みとして評価されました。

ゲームシステム:トーチカとUFO

画面には横11列、縦5段、計55匹の宇宙人が現れます。群れはひとかたまりで左右に動き、画面の端に着くたびに1段ずつ降りてきます。プレイヤーは画面最下部の砲台を左右にしか動かせず、一度に画面に出せる弾は1発だけです。撃った弾がどこかに当たるか消えるまで次の弾を撃てないため、むやみに連射しても通用しません。

宇宙人も弾を撃って反撃してきます。砲台が撃たれると残機を1つ失い、残機がすべてなくなるとゲームオーバーです。また、宇宙人が画面最下部まで降りてくると、残機に関係なくその場でゲームが終わります。それまでのアーケードゲームが制限時間で1プレイを終わらせていたのに対し、スペースインベーダーでは降りてくる宇宙人そのものが残り時間の役割を果たします。

要素役割
宇宙人上の段ほど得点が高い(30点・20点・10点)
トーチカ砲台の上の防御壁。撃たれるほど削れて消える
UFOときどき画面最上部を横切る飛行体。撃ち落とすとボーナス得点
砲台左右移動、一度に1発だけ発射

砲台の上には「トーチカ」と呼ばれる防御壁が4つあります。最初は宇宙人の弾を防いでくれますが、敵の弾が当たるたびに少しずつ削れ、プレイヤーがトーチカの下から撃った弾でも穴が開きます。そのため、トーチカの陰に隠れ、隙を見て出て撃つ判断が重要になります。撃たれると壊れる遮蔽物というアイデアは、その後多くのシューティングゲームでおなじみの要素になりました。

ときどき画面の一番上をUFOが横切り、これを撃ち落とすとボーナス得点がもらえます。宇宙人を全滅させると、前より1段下から新しい群れが始まり、この繰り返しは終わりなく続きます。終わりのないゲーム構造だったため、どれだけ長く生き残り、高い得点を出せるかがプレイヤーの目標になりました。

発売後、プレイヤーたちは宇宙人がすぐ近くまで降りてきたとき、その弾が砲台に当たらないバグを見つけました。タイトーはすでに普及した台数が多すぎたため再修正をせず、このバグは「名古屋撃ち」という名前の攻略法として定着しました。

日本のインベーダーブーム

最初の反応は分かれました。タイトー社内では同僚たちが列を作って遊びましたが、経営陣は1プレイがすぐ終わるため売上が少ないだろうと見ていました。ゲームセンターの経営者たちも最初は関心が薄く、むしろパチンコ店とボウリング場が先に台を導入しました。

しかし数か月で状況は変わりました。日本語版ウィキペディアによると、1台の1日の収入は2万〜3万円に達し、46万円だった筐体価格をすぐに回収できたため、注文が殺到したタイトーは他社に生産の許諾を与えました。1978年末までに日本に設置された台数は10万台を超えました。この台ばかりを並べた「インベーダーハウス」があちこちに生まれ、テーブルをテーブル筐体に置き換えた喫茶店も登場しました。

熱狂は社会問題にも広がりました。1979年3月の衆議院予算委員会では、授業時間中にゲームに熱中する高校生の問題が取り上げられ、同年4月から6月にかけて多くの学校が生徒のゲームセンターへの入場を禁止しました。1979年7月1日時点で、全国のTVゲーム機28万台のうち、インベーダー形式のゲームが23万台と81%を占めていたという調査も日本語版ウィキペディアに載っています。ただし、同じ年の夏ごろにはすでに熱気が冷め、インベーダーハウスに空席が目立っていたという当時の寄稿もあわせて紹介されています。

広く知られている「スペースインベーダーのせいで日本で100円玉が足りなくなった」という話は、慎重に見る必要があります。日本語版ウィキペディアには日本銀行が急きょ100円玉を追加で流通させたという記述がありますが、英語版ウィキペディアは当時の貨幣研究者の分析をもとに、造幣の記録にそのような影響は見られないとして、これを都市伝説として扱っています。西角本人もこの話には懐疑的な立場を示しています。

Atari 2600移植と世界的なヒット

1980年3月10日、アタリは家庭用ゲーム機Atari 2600向けのスペースインベーダーを発売しました。アーケードゲームを正式な許諾を得て家庭用ゲーム機に移した初めての例で、このゲームのおかげでAtari 2600の販売台数が4倍に増え、ゲーム機を買わせるいわゆる「キラーソフト」の最初の例とされています。

移植を担当したリック・モーラーは、もともと7KBだったプログラムを3か月かけて削り、4KBのカートリッジに収めました。その結果、宇宙人は55匹から36匹に、トーチカは4つから3つに減りました。その代わり、動く防御壁、ジグザグに飛んでくる弾、見えない宇宙人、2人で協力するモードといった変化ルールを加えました。この版は最初の1年で100万本以上売れ、1981年末までに420万本以上を売り上げ、しばらくの間Atari 2600で最も売れたゲームでした。

同じ1980年にアタリがアメリカで開いたスペースインベーダー大会には、約1万人が参加しました。この大会を取り上げた報道は、ビデオゲームが一般的な趣味として定着するのに貢献したと評価されています。アーケード版も英語版ウィキペディアによれば1982年までに累計38億ドルを稼ぎ出し、当時最も稼いだエンターテインメント商品として記録されました。

シューティングジャンルと開発者たちに残した影響

スペースインベーダー以降、ゲームセンターには宇宙を舞台にしたシューティングゲームがあふれました。ナムコの『ギャラクシアン』(1979年)と『ギャラガ』(1981年)は、スペースインベーダーの型を受け継ぎながらも新しい変化と改良を加え、それぞれ大きな成功を収めました。ユージン・ジャーヴィスが手がけたウィリアムスの『ディフェンダー』(1981年)も、初期バージョンはスペースインベーダーによく似ていましたが、その後別の方向へ発展しました。日本のゲーム雑誌ゲーメストはこのゲームをシューティングジャンルの始まりと見て、固定画面シューティングから『グラディウス』のようなスクロールシューティングへと続く流れを整理しています。

複数の残機、だんだん難しくなる繰り返しの構造、反撃してくる敵、壊れる遮蔽物といった要素は、ジャンルを超えて広く広まりました。このゲームをきっかけにゲーム業界に入った人も多くいます。宮本茂はスペースインベーダーを最も革命的なゲームに挙げ、このゲームが進路に影響を与えたと語っています。ポケットモンスターを生んだ田尻智は中学生のころにこのゲームを遊んで続編を作りたいと思い、メタルギアの小島秀夫も自分を最初に引き込んだゲームとしてこの作品を挙げました。DOOMを作ったジョン・ロメロとジョン・カーマックも、このゲームをビデオゲームとの最初の出会いとして挙げています。

宇宙人の絵はビデオゲーム全体を象徴するアイコンのように使われるようになり、2017年にはUnicode 10の「エイリアンモンスター」絵文字にも採用されました。2016年には世界ビデオゲームの殿堂(World Video Game Hall of Fame)入りを果たしました。

続編と今遊ぶ方法

タイトーはその後、多くの続編を出しました。1979年にはカラーグラフィックと幕間演出を加えた『スペースインベーダー・パート2』、1985年には敵の動きと攻撃を複雑にした『リターン・オブ・ザ・インベーダー』が登場し、『スーパースペースインベーダー'91』『スペースインベーダーDX』『スペースインベーダー'95』が続きました。2008年には音楽の要素を加えた『スペースインベーダーエクストリーム』(ニンテンドーDS・PSP)と、プレイヤーが宇宙人側を操作する『スペースインベーダー ゲットイーブン』(Wiiウェア)が登場しました。2009年にiPhone向けに配信された『スペースインベーダー インフィニティジーン』は、進むにつれてゲームシステムそのものが進化していく構成です。

今オリジナルを遊ぶ方法もいくつかあります。

  • アーケードアーカイブス:ハムスターが2025年12月、アーケード版のオリジナルをこのシリーズの500作品目として配信しました。Nintendo Switch・PS4向けのアーケードアーカイブスと、Nintendo Switch 2・PS5・Xbox Series X|S向けのアーケードアーカイブス2で遊べます。
  • スペースインベーダー インヴィンシブルコレクション:生誕40周年を記念して2020年にNintendo Switch向けに発売されたコレクションで、オリジナルを含む歴代作品が収録されています。
  • スペースインベーダー インフィニティジーン エボルブ:2025年にApple Arcadeで配信されたバージョンで、名古屋撃ちをゲームシステムとして取り入れているのが特徴です。

宇宙人の群れが少しずつ迫り、プレイヤーが防衛線を守るという構図は、今もさまざまなジャンルで使われています。宇宙からの侵略を食い止めるSFタワーディフェンス『グリッドディフェンス』も、同じ構図を別の形で表現したゲームです。

参考資料

KEKE STUDIOのゲーム

あわせて読みたい